2012年05月24日

男と女の合コン事情とか

今日はとある用事で20代後半から30代くらいの人が中心の、比較的若い年上の男性たちのたくさんいる場所に行って話したのですが、やれ合コンで連絡先を聞いたがうまくいかなかった、お勘定を割り勘にしたらひんしゅくを買ったなど、毎回そのような嘆きの声を聞きます。
ちなみに私は未だ合コンというものに行ったことはありませんし、大して興味もありません。まあ、中にはそこから関係が進展して結婚するような人々もいるようですが、そういう中から生まれた愛が長続きするものでしょうか。どうも疑わしい。実際にうちの両親の関係の末路を見ていると。だから余計に軽薄な印象が強いのです。

余談ですが、先日話に出した女の子には仕事が終わった後に、今度お茶でもどうですかと誘ってみたのですが、苦笑するばかりだったのでそれ以上は何も言わないでおきました。まあ、忙しそうでしたし仕方ありません。

ところで、男性陣が以上のようなことを述べている一方、昨年は大学の女性だらけの演習室で、先輩や同期の子は、公務員と合コンをしたが、せっかく楽しませてあげたんだから向こうが払って当然などという話を何度か聞きました。詳しくは聞いていませんが、まあこの場合、男性の方も本気で女性を「持って帰ろう」としていたわけでなく、女性の方もタダで飲食ができるという利害が一致していたから成り立ったものなのでしょう。このことを今日の男性陣に話したら、当然のごとく嫌そうな顔をしていました。それでも可愛ければ許せるなどと冗談めかして言っていました。

まあいずれにせよ、女性の方は自分の性的な価値、商品価値がわかっているから相手に遠慮をする必要がないのでしょう。対して男性の方は淡い欲望のために金銭を払うわけです。結局、両者の関係は需要と供給、なんとか価値になんとか価値など、経済学的な考え方で説明できるにすぎないように思えます。根幹にあるのはカネ、カネ、カネ、セックス、セックス、セックス、これです。

ところで女性陣は女性陣で男性に対してある種の幻想を抱いているというか、結局自分とっての都合の良さを求めているにすぎないようで、一度、「(ただ浅薄な快楽を追求しているにすぎないという点で)貴方方も私たち(男性)と大して変わらないじゃないですかね?」とつぶやいたところ、皆何を言っているのかわからずポカンとしていました。さすがに「愛」についての卒論のテーマを選んだ女性が一人だけ、私が何が言いたいのか気づいたのか「そういうことは言わないほうがいいと思うよ」と私に注意しましたが、要するに「空気を読」んで快楽から遠ざけてはならないわけです。自己批判もできないのか、と。私にはどうも彼女たちの美しさが、腐食しきった鉄クズに金メッキが塗られただけのように思えてきました。

まあ非常に傲慢なことを書かせていただきますと、私は根は純粋で優しいつもりですし、実際は連中も私が考えているほど馬鹿ではないでしょうから、「ま、いいんだけどさ。」と常々思うことにしているのですが。
ただまあ、どちらの立場の話も聞いていると、本当に虚無感に襲われ、気が狂いそうになってきます。また、当然私も先に書いたような男の端くれなので非常にそういう自分が情けなくなってもきます。まあ絶望はしたら終わりだと思っているのでそれだけは絶対にしませんが。

結局、私のような人間の考えを受容してくれるような人を本気で求めるのならば、そのようなことが起こりえるなんらかの場、空間、世界を自分で創造しなければならない、そんな気がします。
たとえば今でも関係が続いている人はほとんどいなくなりましたが、高校時代には一からホームページをいくつも作り上げて(ここもその一つであります)多くの人と関わりを持つことができましたし、大学でも既存のサークルなどの団体には適応できず、これも自分で声をかけて仲間を集めて団体を作り、現状はなんとか良い同志に恵まれ、一応活動が成立しています。
もうここまでこれでやってきた以上は逃れられない宿命なのでしょう。ま、もちろん私は心が広いので来る者拒まず、ですが。珍しく近寄ってきたら近寄ってきたで後悔させてしまった人も何人かいますが、それは素直に私の責任も大きいとは認めます。
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2012年05月23日

カブトと戸愚呂兄

コンビニでジャンプ連載のナルトのイタチ、サスケ対カブト戦の決着をちょっと立ち読みして、これは幽遊白書の蔵馬対戸愚呂兄じゃないか!と感じた人は全国に何人くらいいるんでしょうか。まあ回復、再生能力を持ったキャラが相手だとどうしてもああいう倒し方になるんでしょうか。でも単なる封印ではなくループっていうのはどうも戸愚呂兄の印象が強いです。同じジャンプ漫画ですし。
と、一応ナルトサイトの運営者らしいことを本当に久しぶりに書いてみました。
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2012年05月21日

考え事

なんだか最近はこういう話ばかりのような気がしますが、一時的に鹿児島に滞在しているある女の子が非常に可愛いくて、帰ってしまう前に一度くらいお茶にでも誘ってみようかと考えています。またか、懲りない男だと言われそうですが、それについては誰にも文句を言われる筋合いはありません。
しかし、実際に私はまったく女性への配慮ができない性格で、まあ選んだ相手も悪いでしょうが大学で過去にそのようなことを試みても失敗ばかりでした。そこで、友人の中で唯一女っ気がある者に相談したところ、別に気にすることはないんじゃないか、数撃ちゃ当たるですよ、とまあある意味ありふれた言葉かもしれませんが励ましてくれました。居合わせたほかの仲間たちも、やっぱり男からいかないとダメだ、向こうから来るような女子は「肉食系」だ、などと言っていました。

そういうことを言われるたびに私は失ったものの重さを噛み締めさせられるのです。本当に何だったのでしょうかあれは。一度限りの幻のような気がしますが、確かにそういう人はこの街で眼前にいたのです。
まあ、よほど寂しかったのだろうとは思いますが彼女は。私を見放した後も自分から他の男に走ったことからもきっとそうなんでしょう。満ち足りているようでどこか孤独な人でした。
もう6年近く前の話です。そんな彼女の幻影を追いかけてこの街にやってきて3年余りが過ぎました。結局誰一人彼女には敵わない。体を鍛え、書物を読みあさり、宗教的な信仰に至ってもそれだけはどうしても拭い去ることができないような気がしてきました。

以前、大学である後輩が、同じ演習をとっていた私の同期にメールアドレスを書いた紙を渡して去り、女子の方は非常に困っていたという話を聞いたことがありました。それを聞いて私は絶望的な気分になりました。どちらの気持ちもよくわかるからです。

結局利害関係に還元できるものなんでしょうか。欲望につき動かされての食うか食われるか。まるで不毛な闘争のよう。そういうものを超えるのはどうすればいいんでしょう。

ところで今日は金環日食ですが、鹿児島は曇りで見られるかどうか怪しいです。3年前の日食グラスがまだ健在なので、せっかく見られるものなら見に行きたいと思っているのですが。書いているうちにますます空は暗くなってきました。
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2012年05月20日

ピザと間違い電話

隣の大学のトレーニング仲間の小A君が先日ピザを食べたいと言っていて、ちょうど昨日はピザハットの一部のピザが半額になる「ハットの日」だったので、君の家で一緒に食べないかと朝に電話をかけてみました。ところが、どうもいつもと口調が違うし、「今は実家にいる」などと言い出したのでどうしたのかと思っていたら、小A君ではなく、間違えて私と同じ大学の、しかも数ヶ月会っていない小B君に電話をかけていたことにやっと気づきました。一体何をやっているんでしょうか私は。間違えてかける私も私ですが、彼もなまじ人がよく、「久しぶり」、「どうしたんだ突然」などと言わずに当たり前のように応対してくれたもので、すぐに間違いに気づかなかったのです。とにかく非常に恥ずかしい思いをし、何度も小B君に謝りました。

その夜、ピザの方は奮発してLサイズを二枚注文しました。持ち帰りしかできないのがネックですが、これで3100円なら安いものでしょう。さすがに二人で一晩では食べきる事ができませんでしたが、たまにはこういうのも悪くはありません。
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2012年05月12日

吐き気

昨日も専門の授業があったので、同期の人達と会いました。例の賢しい女子にも。彼女は私にとって、今いる大学の大学生という世界の象徴のような人だと思います。ただ、やはり話しているとどうも埋めがたい断絶を感じます。私は彼女たちの眼前にいるのに同じ世界では生きていないかのような。

今までにも同じようなことは書きましたが、私は彼女たちを見ていると微笑ましく思う反面、なにか得体の知れない暗い感情がこみ上げてくるのです。この感覚はどこかで感じたことがあるような気がしたのですが、それは何年も前に、まだ高校生の頃、「善良な」小学校時代の同期たちに感じた、言葉にできない嫌悪感や欺瞞と似ているように思えます。(ちなみに中学校の同期は善良ではなく見下げた悪党ばかりだったので彼らへの嫌悪感ははっきりとしたものです)
その暗い感情から私はほとんどすべての交友関係を自ら破棄し、恋人にも見放された上で半狂乱になりながらもなんとかここ鹿児島にやってきたのでした。しかし、結局また私はここでも同じような感覚を抱き、現に今は吐き気も近いものさえ感じるに至ったわけです。一体何なんでしょうか。
私がわがままなだけで、あるいは実社会に適応できない逸脱者というだけなんでしょうか。まだはっきりとはわかりませんが、昔よりもいくらかそれが明るみに出ようとしているのは確かのようです。

ところで、昨日の別の授業で、もう還暦を過ぎていると思われる聴講生の女性に、なにか良い小説はないですかと尋ねたところ、自分が学生時代の頃はサルトルの『嘔吐』などを読んでいたと教えてくれました。よく考えれば当時はサルトルもカミュもまだ存命だったのです。すごい時代。今では考えられません。
私はフランス語はほとんどできないのですが、どうも原題は「嘔吐」というよりは「吐き気」に近いそうです。一体サルトルのいう吐き気とは何なのか知りたくなり、早速買って読んでみることにしました。
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2012年05月11日

EM菌せっけんと世界救世教

私は長い間手指に炎症を起こしていて、ハンドクリームが手放せません。少しでも皮膚刺激を和らげようと、洗い物をするとき、合成洗剤から刺激の少なそうなせっけんに変えてみました。

変える際、どういうものが良いかと思い、あれこれ調べてみたところ、アマゾンでシャボン玉 EM 食器洗い液体石けんなる商品が見つかりました。シャボン玉と石けんいう会社は、老舗の石鹸会社のようです。
さて、EMというのは一体なんなのか調べたところ、琉球大の比嘉照夫名誉教授が開発した、「乳酸菌、酵母、光合成細菌を主体とし、安全で有用な微生物を共生させた多目的微生物資材」だそうです。
http://www.emro.co.jp/em/

よくわかりませんが、建築や農業から飲食物まで、さまざまな効果のあるありがたい微生物群のようです。ところが、気になってさらに調べてみると、この比嘉照夫という人物は、新興宗教である世界救世教の関係者であるらしいことが分かりました。
「EM菌(有用微生物群)」(Skeptic's Wiki)

「EMとは、5科10属80余種という大量の微生物を組み合わせてタンク培養した液体であり、酸素が不可欠な好気性微生物と酸素を嫌う嫌気性微生物とが共存し、独特の”波動”を発する点が特徴とのこと。」
なんといいますか、これだけでオカルト商品であることがよくわかります。波動というのは一体何なんでしょうか。
ちなみに上記の記事の参照元の『カルト資本主義』という本はうちの大学の宗教学の授業でも取り上げられたことがあります。私は読んだことがありませんが、うちの大学に建物を寄贈した京セラの稲盛和夫氏に対する批判も書かれているそうです。余談ですが、うちの大学の中には稲盛氏に心酔した教員がいるようで、彼らはわざわざ稲盛和夫の「哲学」を教える授業を作り、本来の哲学の専門家である私の先生は非常にそれを心配していたという話を先日他の先生から聞きました。先生は私が新入生の時、ご自分の教養科目の授業を、わざわざ稲盛氏の寄贈した「稲盛アカデミー」で行なっていて、授業前に「稲盛さんにも哲学があるようだけど…」などと皮肉っぽく話していたことにはそういう背景があったからかもしれません。

話を元に戻します。
かつては光合堀菌やら真光元なるものが世間を騒がせ、雑菌だらけのどう見ても不衛生な風呂に入る人がいるなど話題になった覚えがありますし、先の大震災でも、飯山一郎なる人物が乳酸菌で放射性物質の解毒ができるなどと主張し、他にもうがい薬を飲めば良いなどとのデタラメを垂れ流す人が現れ、私もやっているTwitterでも感化されたり真に受けた人物が大量にデマゴギー化して世の中をみだりに混乱させたのは記憶に新しいことです。EMの効果の根拠というのも彼らの主張と同じような類のものと思って差し支えなさそうです。

ところで、私は世界救世教というのは非常に恐ろしい宗教団体だと思っています。というのも、今もこんな過激なことをやっているのかはわかりませんが、私が聞いた限りでは、世界救世教は現代医療が悪だと考えているというからです。エホバの証人は輸血を拒否することで悪名高いですが、こちらは医療行為そのものを受けさせないのですから危険性のレヴェルが違い過ぎます。
実際に、私と親子ほど年の離れた知人に、親が世界救世教の信者で、その医療拒否の思想によって正当な治療を受けることができなかったばかりに、今でも心身に重大な障害が残ってしまっている人がいます。これまでの半生の話を聞いたことがありますが、まさに波瀾万丈そのものでした。大学は出ていないのですが、凡百の大学出の人よりもよほど知性のある人で、本当は大学に行きたかったのだろうと考えると非常にいたたまれなくなってきます。
私の父親もそうでしたが、カルトに洗脳された人物の人生というのは悲惨なものです。本人だけ破滅してくれればまだましなのかもしれませんが、周囲の人間にまで害が及ぶのでたまったものではありません。

EM菌の入った商品を購入することは、間接的にカルト団体の思想に同調することになりかねませんし、資金がそういう団体に流れる可能性も考えると、私はこのたぐいのものは決して買うべきでないと思います。販売している会社の一つであるシャボン玉石けんに対しても、科学的根拠のない商品をさも効果のあるかのように販売していることについてついて批判がなされています。
http://www.live-science.com/sci/syabo/


比嘉照夫氏についてもまあどこの大学教授にもこういうとんでもない人物はいるものですが、琉球大を退職後もこのような人物を登用している名桜大学は一体何を考えているのでしょうか。
posted by 鴉 at 04:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | きまぐれ日記

夢から現実

昨日は大学で専門科目の授業があったので、この間夢に出てきた利発な女子たちに久しぶりに会いました。あんなことを書きましたが、久しぶりに面前で、その綺麗な目を見て話しているととなんだか疑いの心を持っている自分が恥ずかしくなってきました。我ながら単純な人間だと思います。
まあ、悪意を持って彼女たちに接することだけは避けたいと思っています。
posted by 鴉 at 03:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | きまぐれ日記

2012年05月08日

FREEPのメディア・リテラシーの低さ

FREEPというサイトがあります。これは昨今のフェイスブックなどの台頭に触発されてか、鹿児島大学の有志の学生が自分たちでプログラムを組んで昨年か一昨年に立ち上げたSNSサイトです。当初は鹿児島大学の学生向けでしたが、今では鹿児島の他の大学の学生も、大学別に利用できるようになっています。

昨年の春には大学の各所でチラシが貼られており、私も知人に勧められ、サークルの宣伝にでもなるかと思い登録してみました。物品の売買もできるようになっていて、たまたま運営者のうちの一人と思しき人物が、ちょうど私が探していた物を出品していたので、直接会って取引をしたのですが、少し話した限りでは今風の普通の学生といった印象の人でした。

ところが、最近FREEPを見ているとその程度の低さが目に余るようになってきました。一言で言うと、メディア・リテラシー、情報の識別能力があまりにも低すぎるのです。

具体的に書きますと、mixiのように、FREEPのサイドバーにはニュース記事へのリンクが並べてあるのですが、その取り上げられるニュースの内容が、ほとんどがなんと2ちゃんねるのいわゆるまとめブログからの転載なのです。まとめブログというのは転載で成り立っているサイトなので、つまり、転載の転載ということになります。
当然2chですので、誰が書いたかも、事実に基づいているかどうかもわからない、真偽不明の、しかも偏った見方から書かれた記事が大半を占めているわけです。中には政治や社会問題などの話題などもあり、これは本来非常に扱いがデリケートなはずなのですが、特定の見方が正しいと錯覚させるような取り上げ方をしていたこともあります。
仮にも国立大学の学生の運営するSNSでこういうことをしているのはいかがなものかと思い、そういう記事ばかりを掲載する、しかも転載の転載をするくらいなら、なにも載せないほうがいい、あるいは、それらとは別に鹿児島のローカルな情報も取り上げているので、そちらを重視すべきと苦言を呈しました。ところが、特に聞き入れられた様子もなく、他の学生は逆に私を疎んでいるようでした。まあ、私はもともと気性が荒く言葉に棘があるところがあるので、やり方がまずかったところはあるとは思いますが。

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このようにあまりに程度が低すぎるので退会しようと思ったのですが、なんと退会の手続きができないのです。これは明らかにSNSとして不備があると言わざるを得ません。つまらないニュースを載せる暇があるなら、バグの修正や必要な機能の追加に少しずつ時間を費やして欲しいというものです。

そのような体たらくは今でも続いており、具体的に私が気になった事例を取り上げますと、例によって2chのまとめブログから、以下のような記事が取り上げられていました。
http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/7048170.html

呆れたことに、FREEP側はこれを全文転載しただけでなく、「(実話です。)」とわざわざ追記して紹介しているのです。5分足らずで私が調べたところ、これは創作の文章を投稿するサイトで2003年に投稿されたものがもとになっているらしいことがわかりました。どうしてそういうものが今更2chで取り上げられているのかも不可解ですが、まとめブログのコメント欄の匿名投稿者の中にも、この話は事実ではないと疑っている人がいるというのに、何の根拠があってFREEP運営者は「(実話です。)」と書き足したのでしょうか。そういう疑問を提出しても、まったく音沙汰はありません。何事もなかったかのように今日も新しく劣悪な記事が転載されて、他の学生は追従するのみです。

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情報を歪めた上で転載するなど、レポートや論文を書く際には最大のご法度の一つであり、本当にあなた達は大学生なのかと問いたいくらいです。(記憶が正しければ私が会ったことのある運営者はもう院生のはずですが…)
なぜか写真が添えられている、名著『レポートの組み立て方』の著者である故木下是雄氏も、伝統ある国立大の学生がこういうことをやっていると知ったら草葉の陰で泣いていることでしょう。

ところで、半年以上前から現在にいたるまで、大学の公式サイトには、「最近、本学が運営しているように誤解されるインターネット上での通販・オークション・アルバイト募集などのサイトがありますが、本学とは一切関係ないものです。ご注意ください。」と注意が喚起されていますが、これは他に相当するものが見つからない以上はFREEPのことを指しているものと思われます。つまり、大学側からは不審な目で見られているということです。

ある日、大学の職員の人と話す機会があった時、FREEPチラシを見て、前から気になっているけど一体これはなんなんだと訝っていたので、私は「決してカルト団体や、おかしな人が作っているものでなく、ちゃんとした学生によって運営されています。」とわざわざ弁明したのですが、その評価を覆す必要がありそうです。

もっとも、現時点でFREEPに登録しているのは他の大学も含めて1000人足らずであり、以上のようなことをやっているのは鹿大生の中の程度が低いほんの一部の連中(のはず)であり、鹿児島大学の学生がアホだという偏見だけは持たないでいただきたいと思います。
私は自分の大学に非常に愛着があるので、こうやって長々と苦言を呈しているのですが、他の鹿大生は実際のところどう感じているのか知りたいところではあります。真面目にまとめブログなんかを見て喜んでいるような人は少数派だと思いたいのですが私は。

FREEPの運営者はいい加減、以上のような方針、態度を改めるべきだと思います。せっかくあれだけのプログラムを組む技術があるのですから、浅薄な笑いを取るのではなく、もっと「大学生の」役に立つようなサイトとしての方向性を考えて発展させていただきたい。
posted by 鴉 at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | きまぐれ日記

無力と不信の夢

こんな夢を見ました。

どこか建物の中らしき場所で、例の不審者に再度出くわし、私のことを覚えていた男は、私を見るなり啖呵を切った上で襲いかかってきて、それを私は片手で投げ飛ばしました。(当然現実にはそんなことはできるわけがないのですが。)

男が怯んでいる間に、警察に通報しようとスマートフォンを取り出して110番を押そうとしましたがうまくいきません。たまたま大学で同じ学科の女子が通りがかったので、代わりに通報してくれと彼女に向かって叫んだのですが、自分は関係ないからと、笑みを浮かべながらエレベータに乗って上へ行ってしまいました。

いつの間にか周りには人がたくさんいて、代わりに押してくれ、電話を貸してくれと頼んだものの、まったくうまくいきません。再度自分の携帯でも試してみましたが、何度タッチパネルを押してみても、「100」番になったりと、どうしても正しく「110」と押すことができないのです。
そうこうしているうちに夢は途切れました。

そちら方面の心理学の本を読んだことがあるわけでもなく、以下、私の思い込みによる解釈を書いてみます。

男を投げ飛ばしたというのは、私の力への渇望、劣等感、怨恨の深さを現しているような気がします。中学校時代に私を迫害した連中をジャイアントスイングで投げ飛ばす夢を成人してからも複数回見たことがあるのですが、確かに今でも私は彼らのことを心から嫌っているのでそのような夢を見るのも頷けることであり、それと同じようなものでしょう。隠れた復讐心というんでしょうか。

大学の女子に見捨てられたというのは、彼女に対して普段は隠そうとしている不信感や嫌悪感が反映されたもののように感じられます。彼女は基本的に聡明な良い人なのですが、私はどこか信じられないところがあり、それを抑えようと心がけています。まあそれは他の女子に対してもほとんど同じであって、もし私が例の男性と口論になった場に彼女たちが居合わせていたら、実際に逃げて行くのでないかという疑念は確かに持っています。
もっとも、実際にあの時、通りがかった人々はこちらを向きさえすれど、皆われ関せずと通り去って行ったので、それは女子に限ったことではなく、他人一般への不信感の現れなのかもしれません。その代表として駆り出されたのが同期のある女子だったということでしょうか。
夢の中でも、周りの人にこちらから声をかけて頼んでみるばかりで、周囲からの助けの手は伸びてこず、結局通報はうまくいかなかったこともそれを現しているような気がします。

何度やっても110番を押すことができなかったのはよくわかりません。ただ、同じような夢は何度も見たことがあります。たとえば、マラソンか何かで走ろうとしても、まるで私にだけ重力が倍加しているようで、脚が鉛のようになり、どうやっても走ることができずに倒れてしまったり、あるいは昔やっていたテニスで打ったサーブが全部フォールトになったりするなどです。
少なくとも、私は走ることもテニスも全く才能がなく、実際にテニスなどは今でもろくにサーブを入れることができません。これも長年の無力感や劣等感、怨恨が反映されたように思えます。
ダイヤルがどうしても押せないことと関係があるのかどうかはわかりませんが、なにかしらの後ろめたさや無力感というのは確かに拭い切れないような気はします。

別に眠る前に夢の中の出来事に関連するようなことを考えていたり、思い出したりしていたわけでは全くないのですが、後で考えてみれば私がどこか心の奥底で薄々感じていることを見せつけられたような興味深い夢でした。
posted by 鴉 at 06:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | きまぐれ日記

2012年05月06日

バルトの話とか

あんまりこのブログでは勉強の話をするつもりはないんですが、こないだ話題に出したカール・バルトの本を読み始めました。まあ、遊んでばかりいる穀潰しの大学生と思われないためにもたまにはこういう日記も書いてみるものかもしれません。
どうも私は本は所有しないと読めないタイプで、以前にも図書館で借りたことがあるんですが、途中で挫折してしまったのでアマゾンで注文しました。マーケットプレイスで買った古本ですが、状態は書いてあるよりも良かったです。わざわざ新品を買う理由は見当たりません。
とはいえ、そういうことはお金がない苦学生なら許されないことです。志のある人ならば、図書館で借りた本は期限内に貪るように読み、線が引けないので重要なところは印刷するなりノートにまとめるなりするに違いありません。そういう人がたくさんいることを考えて、私も彼らの勤勉さを見習わなければならないと思います。

さて、バルトですが、私が購入したのは新教出版社から出ている『福音主義神学入門』という本です。
バルトの故郷であるバーゼルの大学で行われた最後の講義がもとになっています。改めてパラパラと読んだだけで只者ではないということが伝わってきます。バルトのいう「福音主義」とは一体何であるかを少しでもつかめたらと思います。入門と銘打たれてはいますが、晩年の一流神学者の講義だけあって、内容はなかなか難解です。

そういえば思い出したのですが、同時代のドイツの大哲学者にカール・ヤスパースという人がいるのですが(バルトと名前が一緒ですね)、彼も晩年はバーゼル大学で教鞭をとったのでした。
ヤスパースはユダヤ人と結婚し、妻ともども強制収容所に入れられそうになったところに敗戦を迎えて助かったというなかなか壮絶な経歴の人物です。戦後も紆余曲折あって死ぬまでスイスに渡ったままなのでした。
バルトもヤスパースも、キルケゴールという19世紀のデンマークの哲学者から多大な影響を受けているのですが、バルトはあくまでも神学者、ヤスパースは哲学者です。
この二つの学問は近いようで非常に遠い、最も相性の悪いもの同士でないかと私は最近強く感じています。
posted by 鴉 at 04:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | きまぐれ日記